メディアと動物
去年の夏ぐらいから、任天堂が得意とする6〜12才ぐらいの子供たちが遊ぶデバイスが、Nintendo (3)DSから、iPod touch へと目に見えてはっきりと置き換わって来たのだ。そんな親に聞くと、ほとんど決まって「私の iPhone でAngry Bird を遊びたがって、返してくれないので、しかたがないから iPod touch を買い与えた」という答えが返ってくる。

なぜ、こうしたひとが橋下市長の手法に「ついてゆけない」のか朝生をみてわかったことがあって、ようは「ついてゆけない」のはビジネスモデルが理解できないということだろう。

ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。

・カスタマーへフォーカスする。
・細部をつめないで前にすすめる。
・やりながら最適化する。
・手法に執着しない。
・状況は変化してあたりまえ。
・言ってることも変化してあたりまえ。
・やってることも変化してあたりまえ。
・目標達成の最短行動をえらぶ。
・ぜんぶをコンセンサスとる必要はない。
・決定してから手法をかんがえる。

こーんなのは、今を生き抜くうえであたりまえのことで、薬師院やら香山やらはそういう脳みそをつかってないから判らない。反対派はすべてのプロセスをボトムアップですすめないとついてゆけず、コンセンサスに漏れあると問題視する。まさに日本が意見の集約ができず苦しんでいるのは、こうした過剰なコンセンサスで、政治家だけでなく「市民レベルで決定させないひとたち」をみるいい機会になった。

彼らは、橋下市長へしきりに「思想」とか「信条」をたずねてたけど、これは意味がない。橋下市長の政治では思想信条は重要じゃないからだ。興味もないかもしれない。興味があるのはビジネスモデルの整合性だろう。

反対派は橋下市長の目標値の設定よりもプロセスがどうしても気になるらしく、しきりに「言ったこととちがう!」と唱える。ビジネス脳がない彼らは「先に決定がくる手法」についてゆけないのだ。

橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。 - 所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )

なるほど。こういう考え方は確かにあるよね。僕もこういうふうに考えがち。たださ、政治や政策決定のやり方が「ビジネス脳」で考えた「ビジネスモデル」的で良いって本当なのか?

そして、こういう「ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。」と言い切ってしまうと、ビジネスをやったことのない人への牽制になって、大学教員の中には同意するような人も出てくるだろうけれど、「ビジネスをやっている人間」もいろいろな人がいるわけで、全然「橋下市長のやってることは至ってふつーのこと」じゃないよ。

また、後段の過剰に「保証を要求する」というのは、そのとおりだと思う。ただね、このブログの筆者のようにセミリタイアできるだけの資産を形成しているようなリスク耐性が高い人ばかりじゃないから、人がもつリスク感覚がマチマチなのは当然なんじゃないの?そこを合意形成するプロセスを経ないで、専横的に物事を進めるのはやり過ぎだよな。確かに「ぜんぶをコンセンサスとる必要はない」けれど、マッタク「コンセンサスとる必要はない」わけではないんだよ。

橋下徹氏はその点とてつもなく老獪だよね。いかにも独裁専横的な決定をするかのような発言を繰り返しつつも、テレビ番組に頻繁に出つつ、マスコミを利用しつつ、巧みに合意形成へのプロセスを踏んでいる。政治家がマスコミを利用する観測気球的合意形成のプロセスは今までも存在したけれど、橋下氏のように視聴者であり投票権をもつ市民に直接訴えかけて合意形成をするやり方は斬新なように思うな。

(via kashino)
otsune:

2011年度上期国内携帯電話端末出荷概況 - 株式会社 MM総研
myk0119:

1327487036100.jpg

cybergata:

“We want in too!”

cybergata:

Dr. Whiskers, Phd.

cybergata:

Dr. Whiskers, Phd.

例えば、優れた売れっ子のマンガ家がいて、老練な担当者がついていて、名アシスタントがいて、才能ある若手アシスタントがいて、10人のチームでマンガを描いていたとしよう。一方、大して技術もない凡人を100人集めて、前出のチームと同じマンガができるとかと聞かれたらどう思うだろう?殆どの人はそれは無理じゃない?と思うだろう。1000人でも無理かもしれない。

開発も同じなんだよ、本質的にはね。

でもそう思われにくいのはなんでだろう?それは多分、開発に従事する人にはマンガ家のような才能や際立った技術は必要ないと思われてるからだ。言われた所を言われたようにベタを塗るだけがプログラマの仕事だと思われているからだ。実際それをプログラマなのだと定義している会社もある。技術はお金にならない低俗なものだという偏ったイメージもこの世界には蔓延している。それが上流偏重の問題なんだ。

売れっ子のマンガ家のような設計(マンガで言えばネームや原作)からプログラミングまでこなせる技術者、老練な担当者のようなプロジェクトマネージャ、名アシスタントのような匠のプログラマ、勉強熱心な技術者は実際に存在してる。並以下の人材を倍集めたって100人集めたって彼らと同じものができるわけじゃない。

でも、どんなプロジェクトにもそんなスター的な人材が確保できるとはいえないし、単純な増員で対応できるようにする必要が、日本の大きな会社や大きなプロジェクトではあった。それを可能にするのが分業化だ。工程を徹底的に分業化することで、末端のセクションの習得コストを出来る限り低くし、品質の維持も図る。言い方を変えれば、創作を出来る限り製造にするということ。

それによるデメリットは明確だよね。新しいアイデアが実現されにくくなる。時代の流れの速さに追いついていけない。個々の持っているスキルが生かされない、技術が評価されない。技術者のモチベーションが下がる。なにより、正しい分業化とマネージメントが行われずに盲目的に人数を増やすと、ただただ炎上にしかならないってこと。お金だけが莫大にかかっていくということ。

よく女性の出生率トータルで語られることが多いですが

実は、
結婚後の1人あたり出生率は1972年から2005年までさほど変わっておらず
目立って減少しているのは、婚姻数。